『ひなぎく』

『ひなぎく』(Sedmikrásky/'66/カラー/チェコ・スロヴァキア/75分)

岡崎京子、矢川澄子、小泉今日子、野宮真貴、ヴィヴィアン佐藤、SCANDALRINAや、ファッション誌を飾る水原希子、まつゆう*、青柳文子、AMOなどのモデル達も「大好きな映画」と絶賛する60年代女の子映画の決定版!!

 

 マリエ1とマリエ2は、姉妹と偽り、男たちを騙しては食事をおごらせ、嘘泣きの後、笑いながら逃げ出す。部屋の中で、牛乳風呂を沸かし、紙を燃やし、ソーセージをあぶって食べる。グラビアを切り抜き、ベッドのシーツを切り、ついにはお互いの身体をちょん切り始め、画面全体がコマ切れになる。色ズレや、カラーリング、実験的な効果音や光学処理、唐突な場面展開など、あらゆる映画的な手法が使われ、衣装や小道具などの美術や音楽のセンスも抜群。60年代チェコ・ヌーヴェルヴァーグの傑作。

監督:ヴェラ・ヒティロヴァー

原案:ヴェラ・ヒティロヴァー+パヴェル・ユラーチェク

脚本:ヴェラ・ヒティロヴァー+エステル・クルンバホヴァー

撮影:ヤロスラフ・クチェラ

美術:エステル・クルンバホヴァー+ヤロスラフ・クチェラ

衣装:エステル・クルンバホヴァー

音楽:イジー・シュスト+イジー・シュルトゥル

出演:イトカ・ツェルホヴァー(マリエ1役)

   イヴァナ・カルバノヴァー(マリエ2役)/他

※配役・俳優名がフィルムのクレジットの順番とは逆であったことがヒティロヴァー監督の評伝の本から明らかになりました。表記ミスをお詫びすると共に、修正させていただきました。

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『ひなぎく』へのコメント

岡崎京子(マンガ家)※1995年のコメント

2人の女の子。2人はこの世の無用の長物で余計ものである。そのことを2人は良く分かっている。役に立たない無力な少女達。だからこそ彼女達は笑う。おしゃれする、お化粧する、男達をだます、走る、ダンスする。遊ぶことだけが彼女達にできること。愉快なばか騒ぎと絶対に本当のことを言わないこと。それが彼女達の戦闘手段。やつらを「ぎゃふん」と言わせるための。死ネ死ネ死ネ死ネ!分かってるよ。私達だって「生きて」いるのよ。

 

矢川澄子(詩人)※2000年のコメント

〝ひなぎく〟のあたらしさ「美のためには食を拒んで死ぬことさえできる、おそるべき精神主義者たち」と、かつてわたしはある少女論にかこつけて書いた。少女にとって、この世にこわい権威は何もない。体制側のヤボなオジさんたちとは、はじめから完全にちがう倫理の下で生きているのだから。そう思いつつ二人のハチャメチャぶりを見ていると、最初と途中に出てくる「鉄」のイメージや終わり方がいかにも象徴的に思えてきた。それにしても六〇年代のさなか、こんな皮肉な映画がカーテンの向こう側で生まれていたとは。チェコの映画人のしたたかさに、あらためて脱帽させられる。

野宮真貴(ミュージシャン)

※2000年のコメント

この映画のふたりの女の子は何だか涙が出るほど自由に生きている。可愛い服を着て、おいしいものをご馳走してもらって、ダンスをして、いつも笑って…。「ひなぎく」ほど悲しいくらい美しい映画は他にはないと思う。

 

鴻上尚史(劇作家・演出家)※2000年のコメント

彼女達は、無敵である。若く、美しく、スタイルがよく、センスがいい二人の女性に誰が勝つことができよう。だが、無敵である一番の理由は、彼女二人を、誰も理解していないことである。無敵であることの、なんと華やかなことか。そして、なんと淋しいことか。

 

Kiiiiiii(U.T.&Lakin'/ミュージシャン)※2007年のコメント

私たちダメ人間。そのうえいつも忙しい。もっと易しい人生を考えなくちゃ。私たちになにが欠けてる?死ネ死ネ死ネ死ネ!とてもだめだわ。だめでも行こう。ビフテキ食べたい。...そんなひなぎく諸先輩方、おかげさまでわたしたちもなんとか、生きてる生きてる生きてる生きてる、生きまくっております。

江口宏志(ブックショップ『UTRECHT』代表)※2007年のコメント

久しぶりに「ひなぎく」を見て、マリエとマリエが現代への接点を持ち続けていることに驚いてしまった。こんなことを書くと、何年後かは笑われてしまうかもしれないけど、二人のメイクは『さくらん』の土屋アンナみたいだし、部屋中の紙を切り刻み、あげく画面までも切り刻むシーンは、楽器の他に、身の回りの道具をパーカッションやノイズとしてコラージュのように使い、独特の音楽を奏でる、アメリカ人の姉妹デュオ、ココロージーだってきっと大好きなはずだ。パーティ前のテーブルに乗っかって、食べ物を投げ遊ぶ二人を見れば、松本人志の演じるキレキャラ、四万十川料理学校のキャシィ塚本をどうしても思い出してしまう。ひなぎくの二人が蒔いた種は、40年以上経った今日もどこかで花を咲かせているのだろう。

 

ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)※2014年のコメント

岡崎京子、ピチカート・ファイヴなど90年代日本の渋谷系ポップカルチャーの源流がどうして60年代のチェコにあるのかしら??? 

このいままで当たり前で不可思議だったことが、ようやく理解出来る時代になってきたのかもしれないわね。戦争や経済とかマッチョの裏側に湧き出る「カワイイ」の源流を遡行するピクニックに、そろそろ出発いたしましょうか。

 

まつゆう*(クリエイター/ブロガー)※2014年のコメント

可愛いと思わないところが見つけられない!レトロでロリータキュートな女の子の鉄板ムービー。

 

 

 

真魚八重子(映画評論家)※2014年のコメント

映画も、時代とともにテーマや演出が古びることはある。しかし『ひなぎく』だけはいつ見ても変わらぬ美貌で、いたずらっ子なまま存在し続ける映画だ。いま十代のお嬢さんたちには、是非本作に出会って斬新さに見とれてほしい。そして昔10代だった人たちも、この映画がいまだ乙女の瑞々しい可愛らしさを、傲慢なほど放っていることを妬んでほしい。永遠に散ることを知らぬ、アヴァンギャルドなひなぎくの花!

監督 ヴェラ・ヒティロヴァー Věra Chytilová

1929年、チェコのオストラヴァ生まれ。

1962年映画大学FAMUの卒業制作『天井』で早くも注目され、イジー・メンツェルやヤロミル・イレシュ、ミロシュ・フォルマンなどと共に、60年代のチェコ・ヌーヴェルヴァーグの代表的な監督となる。しかしプラハの春以降、ソ連軍の軍事介入などでチェコでは政治的な表現への締め付けが厳しくなり、『ひなぎく』と『楽園の味』(1969年)が政府に睨まれ、1976年まで活動を停止させられる。『リンゴゲーム』で活動を再開し、80年代には5作品を順調に発表する。1989年のベルリンの壁崩壊、チェコのビロード革命以降は、建国の父マサリィクを描いた『解放者マサリィク』や、モーツァルトを描いた『私をみとめたプラハ市民』などを発表。

「純粋に自分だけの要素というのは存在しないのではないでしょうか。個性的で創造的な追求は、普遍的な要素の使い方しだいです。私にとって大切なのは、映画の諸要素の構成です。そこに私の主要な本質があります。部分的な構造の中の対立や対照で第三の意味を語ることです。この対立や対照の方法をできるだけ積極的に利用していきたいのです。そうすることで、二つの意味がぶつかりあい第三の意味が生じるからです。これが映像表現の独自性で、そのすばらしい発見の中にこそ映画自身の秘密が隠されていると、私は思います。」(1981年の質問への廻送より)